ダークホース南瓜

9月11日(月)

朝、mudaさんから頂いた梨を食べ終わる。あっという間に食べてしまい名残惜しい。買い物しにスーパーへ行くとダークホース南瓜という品種の南瓜の入荷が遅れているという張り紙を見つけた。名前からして只者じゃない。もし入荷していたらすぐにカゴに入れていたと思う。ダークホース南瓜という名前が頭から離れない。文學界の最新号を読んだ。柴田聡子のきれぎれのハミングが最終回だった。通常回のような最終回で好きな最終回だった。思い返せばきれぎれのハミングが面白くて柴田聡子の存在が気になり柴田聡子の曲を聴き始めた。単行本化してほしい。

手紙、SNS、様々な文章に濫用しまくり。ひとつで十分なのに。日々過ごしていた自分にとっては、夜道で後ろから誰かに肩を叩かれたかのように心響く。てんてんてんこっそり夜逃げ。そうしててんてんてんを封じ込め、てんてんてん界を後にした。私はてんてんてんをやめられると、どんなにか苦行が待ち受けているだろうと光明が見え始めた頃、今度はそれに代わる、てんてんてんではない何かに依存し始めるのを感じた。それが「!」、エクスクラメーションマーク、ビックリマークと言われるあの記号である。基本的にぐうたらな自分は「遅くなってすみません」などという小さな謝罪をちょこちょこする。そういう時にてんてんてんは、自分がほんと悪いんですけどね、なんででしょうね、いやー不思議だなあ、のように自分以外の何かの力が働いてこうなったんです感(これを言い訳と言う)を出すのにもってこいなのだが、それが使えない。単に句点で結ぶと、遅れているくせに無然とした感じがして気になる。そこで「!」の登場。つければつけるほど、全力で謝っている風に見える便利な記号。しかしここには大きな落とし穴が。「すみません!!!!」という字面を見ると明らかなように、記号の爆発的な印象で、「すみません」でもなんでも一気に吹っ飛ぶ。相手の怒気まで吹っ飛ばす。ということは許せと強要しているようなもの。「すみません」の皮をかぶった「許して下さい」を送りつけている私は、たしかに傲慢で仕事できなさそう。また「!」使ってるし!!!!界にはまだ未練たっぷり。いつ辿り着くか、無記号の地。

文學界2021年8月号 きれぎれのハミング 第四十四回より) 

9月12日(火)

1時間くらい歩いて下高井戸シネマに向かう。6月に観た以来の『aftersun』を観た。暗闇と光と曖昧さの、映画館用の映画でとても好き。幼い頃には分からなかった背中から漂う孤独と父も葛藤を抱えて生きる一人の若い人間だったこと。こういう親子の話は見たことがなかった。

 

私は父親と折り合いが悪い。当時、許せないことがあって長い間拒絶していた。でも父親がどん底のときにきちんと対話せずに親だから大人だからと責任を押し付けていたこと、家族の中で孤立していた父親の孤独に寄り添い、歩み寄ってくれていたことを素直に受け入れていたら今とは何か違った関係性になっていたのかなと思う。向き合いたいけど怖くて逃げている自分がもどかしい。

 

ソフィが日焼けしないようにとアフターサンクリームを塗るカラムの眼差しは本当に慈しんでいた。幼い頃、サッカーの練習が終わった日の夜にスパイクを磨いてくれていた父親を思い出した。

 

帰り道、追憶することについて考えた。記憶した過去が今の自分を揺るがしてくる。