2023年9月29日〜10月11日

9月29日(土)

出かける前に近くの自転車屋さんで無料空気入れを利用させてもらう。注入部分に押し当てるだけで勝手に空気が入っていくタイプの空気入れに初めて触れた。東京フレンドパークのフラッシュザウルスみたいな動きをしなくてもいいから随分と楽だった。mudaさんとmudaさんの友人と金兵衛で弁当を買って代々木公園でロケ弁ピクニックをした。金兵衛のお弁当のおかずの中でツナのマカロニサラダが特に好きで、タモリ倶楽部の「収録弁当 脇役おかずドラフト」の回でこだわりが無いのがこだわりと紹介されていたのを覚えている。3人でお喋りできてとても嬉しかった。夜、新幹線で実家へ帰る。夜遅かったけど駅に着いたら母親が車で迎えに来てくれた。

 

10月1日(日)

母親に『一流シェフのファミリーレストラン』を勧めて一緒に見た。私は気に入った映画やドラマや色んな映像があるとおそらく好きだろうと考えうる近しい人に勧めて一緒に見たくなる習性がある。好感触だったので、シーズン2-EP5まで見ていたけど中断して母親のペースに合わせて見るようにする。見返したかったのでちょうどよかった。父親にお土産を渡して少しだけ会話した。今は精一杯の距離感で少しづつ話せることが増えたらいいなと思う。

 

10月2日(月)

朝ごはんに母親が紹介してくれた市販の丸い米粉パンにQBチーズのモッツァレラを挟んだもの食べた。『パンサー向井の#ふらっと』内のコーナー「向井と田中で朝食を」をみたいで嬉しかった。

 

10月3日(火)

『一流シェフのファミリーレストラン』の続きを母親と見た。

 

10月4日(水)

父親が紙袋いっぱいのお菓子をくれた。豆味のお菓子とスティックタイプのポテトが沢山入っていて嬉しかった。昨日に引き続き『一流シェフのファミリーレストラン』の続きを母親と見た。

 

10月5日(木)

2年振りに高校時代の友達と会う。コロナ渦で会うことが難しく、私がそのまま上京したため会えずにいた。特に予定を決めずにいたけど示し合わせたわけでもなく、よく巡っていたダムへ行ったり道の駅へ連れてってくれた。最後は卓球をして回転寿司を食べに行った。2年振りだけど2年振りみたいな感じではなかった。友達が担当したケーブルテレビ内で放送されている番組を見せてもらった。ブラタモリを踏襲しているらしく、タモリの案内役のアナウンサーポジションを友達が務めていた。大きくない町だし、番組続くかなと思ったらしいけど2年も続いていて取材したい場所もまだ沢山あるらしい。友達が住んでいるところは人口減少と街の外から入ってくる人が少ないという問題を抱えているらしい。私と友達は同じ市で育って、就職に伴い友人は住む場所を変えた。8年間住んで街に愛着が湧いたこと、町に住んでいる人に自分たちの住んでる町を魅力的に伝えれるような番組を作りたいと話していて、休みが変則的で残業も多くて忙しそうだけど楽しそうだった。

 

10月6日(金)

ルフレッド・ジャー展を見に広島市現代美術館へ行った。2年3ヶ月に及ぶ修復工事が今年の3月に終わり久しぶりに訪れた。

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『一流シェフのファミリーレストラン』シーズン2を見終えた。シーズン1からワンテイクやクローズアップが多いせいか、これまでのどんなドラマよりも登場人物の感情や不快感や喜びが伝わってくる、登場人物一人ひとりが抱える問題の回復も丁寧に描かれている最高の群像劇だった。カーミー役のジェレミー・アレン・ホワイトはカーミーと同僚のシドニーとの間に恋愛関係は望まないと考えているそう。登場人物同士が同僚という範囲から超えないのが観ててすごく好きだった理由の1つだった。

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10月7日(土)

王様のブランチで麒麟川島さんとタイムマシーン3号がロケのOPで「全員44才。今が旬です!」ってボケてたけど間違えてない、その通りだよ。

 

10月8日(日)

STARS ONに行くために朝8時前の新幹線に乗るために7時過ぎに実家を出た。最寄駅まで母親が車で送ってくれた。広島駅で同居人と合流した。ホテルに荷物を置きに行くため岡山駅で降りる。岡山駅に初めて降りたけど駅を降りて近くに大きなイオンモールがあって、ターミナル駅に大きなイオンモールがあるのは見たことない街の構成だった。新倉敷駅からバスで会場に向かう。会場に着いたらゆったりとした空気が流れていて、会場のどこにいてもステージが気持ちよく見れて初めてフェスに来る私でも落ち着いて見れる雰囲気だった。chelmicoEGO-WRAPPIN’藤井隆、GEZAN、スチャダラパー、STUTS、tofubeats在日ファンクが出演するラインナップで見たい人たちばかりで出演者が発表されてから心待ちにしていた。天候は曇りだったけど昼過ぎから雨になり、気温も低かったので暖かいものをたくさん食べた。GEZANの出番中、食べ物を買うため並んでると後ろの人が会話の中で「GEZAN?登山せんかい」と言っていたのを何故かよく憶えている。

楽しみにしていた隆の出番でナンダカンダが披露されているとき、自然と会場全体で大合唱が起こり振り付けをしている方が多くて、大多数が知っている曲を持っている隆は一時代を創った側の人なのだと感じた。音声トラブルが起きると「岡山怪奇現象〜!」と叫んだり、グッズを掲げている人を発見してMC中にサインして返したり、マイクや機材が濡れて思うようなパフォーマンスができている様子ではなかったけど、この日もたくさん楽しませてくれた。最後の出番でtofubeatsで特別ゲストにオノマトペ星人が出てきて「水星」を歌っているとき、山の上で会場以外は真っ暗な環境でiPhone の懐中電灯をつけて腕を振った光景が綺麗だった。ディスコの神様 feat.藤井隆も見れて本当に嬉しかった。帰りは岡山駅のホテル泊まった。疲れていたのですぐに寝た。

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10月9日(月)

新幹線の時間まで岡山駅で買い物をした。ユアーズで白バラコーヒーと一緒に蒜山酪農カフェオレを買った。甘口だけど白バラコーヒーよりもコーヒー感があった。見たことないコーヒー牛乳を見かけると気になって反射的に買ってしまう。家に帰って好きな古着屋がセールをしていたので同居人と行った。年に数日間しかない肌寒くて快適な日に着ることができる服を2着も買ってしまった。

 

10月10日(火)

​​妹と電話。職場や家族の話を中心に「怒る≒許す」という話に。怒りを表明した時の終着点は怒った側がなんらかの妥協点を見つけて許すことで自分の中で簡単に処理できない感情であればあるほど怒れないという状況に陥る気がする。『オードリーのオールナイトニッポン』を聴いていると春日のフリートークの中で春日と子の「春日のこと好き?」「好き」「どこが好き?」「手」「どうして手が好きなの?」「お菓子を開けてくれるから」という会話が文学的な会話だなと思った。

 

10月11日(水)

中野坂上のライフを通ったら外国からの旅行者の方が店の前で記念撮影をしていた。「back to real life」というキャプションと共にライフの写真が投稿されてるかもしれない。それにしてもライフってスーパーの名前として完璧だ。ここまで生活感満載なスーパーの名前ってないのかもしれない。各国のスーパーに行ってみたい気持ちになった。

実はみちなりにまっすぐかもよ

昨日『僕たちの哲学教室』をという映画を観た。作中、ストレスや不安を感じたら目を瞑り好きな場所を思い浮かべるという試みがあった。目を瞑って試してみたときに特定の場所の情景が浮かんでこないかわりに、帰り道の情景が浮かんできた。

 

目的や拘束時間から解放され家を目掛けて歩く帰り道が好き。楽しかった日の余韻を抱えながらの帰り道も、もやもやしながらの帰り道も等しく好き。駅から家への道のりは12分くらい離れているのが理想的だと思う。今の家は駅から4分なので帰り道が物足りない。日常の範囲だと20分は遠いなと思うけど、日常の範囲外だと交通機関に頼らず30-60分くらいかけて歩いて帰るときもよくある。長距離の徒歩を選ぶときは行きの道よりも帰り道が多い。大体帰り道は夕方や夜が多いので気温や雰囲気も好き。以前、三鷹に住んでいたときは吉祥寺の駅で降りてがやがやとしている商店街や場所を通って三鷹方面に向かうにつれて静かになっていく18分くらい歩く帰り道がとても好きだった。

 

昨日の帰り道、30分ほど自転車を漕いで帰宅しているとリュックが開いていたみたいでブルボンプチシリーズのしっとりチョコクッキーを落としていた。自分にがっかりした。落としたしっとりチョコクッキーが忘れられなくて思い出すと悲しいのでしっとりチョコクッキーは当分買わないと思う。

ダークホース南瓜

9月11日(月)

朝、mudaさんから頂いた梨を食べ終わる。あっという間に食べてしまい名残惜しい。買い物しにスーパーへ行くとダークホース南瓜という品種の南瓜の入荷が遅れているという張り紙を見つけた。名前からして只者じゃない。もし入荷していたらすぐにカゴに入れていたと思う。ダークホース南瓜という名前が頭から離れない。文學界の最新号を読んだ。柴田聡子のきれぎれのハミングが最終回だった。通常回のような最終回で好きな最終回だった。思い返せばきれぎれのハミングが面白くて柴田聡子の存在が気になり柴田聡子の曲を聴き始めた。単行本化してほしい。

手紙、SNS、様々な文章に濫用しまくり。ひとつで十分なのに。日々過ごしていた自分にとっては、夜道で後ろから誰かに肩を叩かれたかのように心響く。てんてんてんこっそり夜逃げ。そうしててんてんてんを封じ込め、てんてんてん界を後にした。私はてんてんてんをやめられると、どんなにか苦行が待ち受けているだろうと光明が見え始めた頃、今度はそれに代わる、てんてんてんではない何かに依存し始めるのを感じた。それが「!」、エクスクラメーションマーク、ビックリマークと言われるあの記号である。基本的にぐうたらな自分は「遅くなってすみません」などという小さな謝罪をちょこちょこする。そういう時にてんてんてんは、自分がほんと悪いんですけどね、なんででしょうね、いやー不思議だなあ、のように自分以外の何かの力が働いてこうなったんです感(これを言い訳と言う)を出すのにもってこいなのだが、それが使えない。単に句点で結ぶと、遅れているくせに無然とした感じがして気になる。そこで「!」の登場。つければつけるほど、全力で謝っている風に見える便利な記号。しかしここには大きな落とし穴が。「すみません!!!!」という字面を見ると明らかなように、記号の爆発的な印象で、「すみません」でもなんでも一気に吹っ飛ぶ。相手の怒気まで吹っ飛ばす。ということは許せと強要しているようなもの。「すみません」の皮をかぶった「許して下さい」を送りつけている私は、たしかに傲慢で仕事できなさそう。また「!」使ってるし!!!!界にはまだ未練たっぷり。いつ辿り着くか、無記号の地。

文學界2021年8月号 きれぎれのハミング 第四十四回より) 

9月12日(火)

1時間くらい歩いて下高井戸シネマに向かう。6月に観た以来の『aftersun』を観た。暗闇と光と曖昧さの、映画館用の映画でとても好き。幼い頃には分からなかった背中から漂う孤独と父も葛藤を抱えて生きる一人の若い人間だったこと。こういう親子の話は見たことがなかった。

 

私は父親と折り合いが悪い。当時、許せないことがあって長い間拒絶していた。でも父親がどん底のときにきちんと対話せずに親だから大人だからと責任を押し付けていたこと、家族の中で孤立していた父親の孤独に寄り添い、歩み寄ってくれていたことを素直に受け入れていたら今とは何か違った関係性になっていたのかなと思う。向き合いたいけど怖くて逃げている自分がもどかしい。

 

ソフィが日焼けしないようにとアフターサンクリームを塗るカラムの眼差しは本当に慈しんでいた。幼い頃、サッカーの練習が終わった日の夜にスパイクを磨いてくれていた父親を思い出した。

 

帰り道、追憶することについて考えた。記憶した過去が今の自分を揺るがしてくる。

 

2023年7月29日〜8月1日

7月29日(土)

mudaさんと檜原村までドライブをした日。道の駅へ寄ったり滝を見に行ったり。道の駅で食べたパンが食べたことないタイプの硬さで2人で笑いながら食べた。歯が健康じゃないと食べれないパンだった。普通の食パンを食べていると対照的なあの硬いパンを思い出し「まだ あなたが残ってる からだの奥に残ってるここもここもどこかしこも あなただらけ 」という吉澤嘉代子の残ってる状態に今もなっている。とても楽しい1日だった。帰ってTHE CONTEを少し見た。かが屋千羽鶴を使い回すコントが好きだった。

 

7月30日(日)

ハイツ友の会のGERA NEXT全4回を聴いた。恐らく2人だけの文脈で時々何を喋ってるのついていけないときがあるけどいつまでも聞いていられるようなトーンで心地良い。ハイツ友の会のArtistspokenにいつ入るか機会を伺っている。

 

7月31日(月)

度々同居人がMBTI診断の結果で僕のパーソナリティを測ってくるのが鬱陶しい。生まれた時代が時代ならこの人干支でもパーソナリティ測ってくるだろうなと思う。

 

8月1日(火)

『又吉・児玉・向井のあとは寝るだけの時間』を聴いた。冒頭に夏休みの宿題の話をしていた。向井さんは最初の1週間で終わらせていたらしい。自分は宿題を最後の3日で終わらせていた。宿題を最初の1週間で終わらせるのと同じだ。問題はラストに詰まっていることだけど物凄い量をなんとかして捌く根性と才を育てていると言い聞かせていた。夜にとうもろこしごはんを作って食べた。食欲が大変捗った。

2023年7月25日

Amazonから偽メールの注意喚起のメールがきていた。そのメールがもう偽物のような気がした。『パンサー向井の#ふらっと』を聴いていると田中さんが休みで代打がしずるのKAƵMAだった。三田さんの代打のときはチョコレートプラネットの長田、前回の田中さんの代打はシソンヌのじろうで向井さんに縁があるキャスティングぽいけど代打のキャスティングにコント師が多い。

高瀬隼子『いい子のあくび』と新ヶ江章友『クィア・アクティビズム』を読み終えた。

わたしがよけたから歩けた人だ『いい子のあくび』

この一文だけで悔しさとか虚しさが伝わる。

「うそ、当たった?」と中学生を指さしながらわたしの方を向いて聞いてきたので、頷く。うそもなにも、ぶつかったのが分からないはずもないのに、目を丸くしている。『いい子のあくび』

間違いを指摘されたとき「え、本当ですか」と言ってしまうときがある。場合によっては相手をむかつかせてしまってるだろうと思っていて辞めたいのに咄嗟に出てきてしまう。反論したいとか疑っているのではなくこのときおそらく動揺してるのだと思う。その癖を読みながら思い出した。

クィア・アクティビズム』はよく分かっていない歴史的背景を整理したくて手に取った。クィアという概念を考えたTeresa de Lauretisのクィア理論とは、差別や抑圧状態にある個人の背景が異なることを前提にして、どう連携できるかを考えるためのものであるということだった。そこから連帯の可能性を模索することが求められる。歴史の流れを俯瞰し、それぞれの話題について基礎的なことについて触れることができる本だった。当事者たちが大事に育ててきた言葉を誤った認識で奪うようなことはしたくないので慎重に使っていかなければならないと思う。

帰りに阿佐ヶ谷駅前の書店に寄ると親子が入ってきて「阿佐ヶ谷七不思議の1つだよ」「1から全部教えて」「ん?」との会話が聞こえてきた。大人が困っていた。23時頃外に出ると商店街で阿佐谷七夕まつりの準備が行われていて、大きなハリボテが飾り付けられていた。4年ぶりに開催されるらしく飾り付けの様子を見にきている人もいて待望されているお祭りなのが伺える。

原材料:粘着質のアスファルト、冷房が効きすぎている駅前の銀行、電線、打ち水、寒すぎるスーパーのアイスコーナー、サクレ、冷蔵庫に入っているバナナ、ちびまる子ちゃんウォーターボーイズの再放送、深夜の自販機の明かり、手すりの錆び、蟻がたかってる飴、初対面の親戚とのご飯、落ちているペットボトルのキャップ、レースのカーテン、電車の車体から滴る冷却水、駐車場のトラックが吐く排煙

日記映画

目黒シネマで『ウォールデン』を観た。通り過ぎていく日々をただ眺めて、衒うことなく映す日記とスケッチとノート。

常に模索すべきと言うが 私は目に映るものを礼賛するだけ 私は何も模索しない 幸福だ

流れてくる映像はぼやぼやしていて一向に像が定まらなくて鮮明に全てを覚えていることができない人間の記憶のようで、何の演出もなく、メカスの眼の前の風景の前に、人間も動物も状況も何もかもが隔てて目の当たりにするだけ。私性の強いものであるからこそ、日記はその隔たりが安心感を与えてくれるのかもしれない。

180分、人の記憶を追憶するのはすごく疲れた。

 

過去を思い出そうとするときの記憶の終着点として、思い出される光景がある。5歳くらいか、母親の実家に帰省して散歩しているとき、母親が昔好きで通っていたイタガキというパン屋に寄りパンを買ってくれたこと。店内のパンはビニール袋に入っていてその日出来立てだったことを物語るように結露がついていた。初めて好きなものを紹介してもらった記憶のようで憶えている。