変わる

今年を振り返ってみる。四月の下旬から人と一緒に住み始めた。他人と同居することに消極的だったものの内見に行ったときリノベーションされる予定で完成予定の家が住みやすそうだったこと、阿佐ヶ谷に住んでみたかったこと、自分の選択肢として全くなかった誰かと同居すること、そのときはハンドルを他人に委ねて自分では選ばないことをしてみたかったのかもしれない。湯を沸かす音、何かを炒める音、冷蔵庫を開ける音、ドアを閉める音、換気扇のスイッチを押す音、自分じゃない誰かがいる。同居生活が始まると冷蔵庫の中には自分だとあまり買わない食材や調味料があって面白い。姜葱醤(ジャンツォンジャン)なんか手にも取らなかったと思う。一緒にスーパーで買い物をして「これ美味しそう」だとか「これであれ作ろう」とか考えたり、住んでるマンションのほぼ真下にケンタッキーが出来て喜んで住んでいる街の変容を話し合える。その反面、同居生活が始まった当初は自分の思い通りにならない暮らしへのストレス、毎日人と一緒にいる息苦しさ、生活の糧になっている音楽やラジオと向き合う時間が減ったりと想像できる範囲のことだったけど実際に体験してみると思った以上にしんどい。自分にとってはどうでもいいことが、他人にとってはどうでもよくない。自分一人で生活していると自分の中のどうでもいいを繰り返していればいいんだけど、他人の視線が入ることで自分のどうでもよかったことがどうでもよくなくなる。これから寂しいと感じるときがあっても静かに一人で暮らしたいと思うし、その方が自分にとって自然で合っている。だけど人と生活することで自分がどうゆう人間なのか前よりも理解できたし、人と暮らすことで自分の輪郭が濃くなった。この同居生活がいつまで続くか分からないし来月や再来月に辞めてるかもしれない。可能な限りは続けてみようかなというテンションでいる。

 

 

今年は色んな人に会える機会があって友達が出来たし、長らく会えていなかった友達にも会えた。他人との関わりを減らせば自分のことを嫌いになる鬱々とする時間が多くなくて済むと思って閉塞していた時期があった頃からしたらすごいことだ。来年もtwitterでフォローしている方やこのはてなblogで繋がってる方、何かがきっかけとなって話せる機会があったら嬉しいなと思っています。